戦略至上主義!芦田博のブログ

戦略は全ての問題を解決する人類の智慧と考え人と企業を豊かにする。経営ストラテジスト芦田博の日日是好日記。

働き方改革へのヒント。

こんにちは、芦田です。

 

先日、会社を品川に移転させました。

これは、会社の業務改革の一環ですが、

何よりも事務所にコストをかけないという試みです。

もう、当たり前の話ですが、通信テクノロジーの発達や、

コ・ワーキングスペースの普及、

従業員の働き方意識が急激に変化している昨今、

弊社も様々な「働き方改革」を実行しようと新たな試みをしている次第です。

 

そのきっかけがあります。

ある日新橋のルノアールに行くと当社のスタッフが4組もいて、

それぞれ別のプロジェクトのミーティングをしているという始末w

ルノアールを会社の事務所にした方が良いのでは?

と思ったくらいです。

それは冗談として、

やはり護送船団のように電車に乗って定時にオフィスにいるという働き方は滑稽に見えてきたのも事実です。

であるならば、みんな、いつでも、どこでも自由に働いてもらい、

その分オフィスは小さくして、会社の維持コストを低減、

その分を社員の給与に上乗せするのがベストではないか。

今のところ、これは上手くいきそうです。

 

さて、今日話したいのは、上記のような各論でなく、

「働き方改革」とはいったい何をすれば良いのかを考えます。

 

私は仕事柄様々な企業に訪問します。

しかし、どの企業も明確な「働き方改革」の方法を持ち合わせていません。

さらに政府が推進するようなテレワークの導入や、

労務における法制改革等、

これらの施策は「働き方改革」の本質に迫っていないようです。

 

そこで、経営者目線で「働き方改革」のヒントを述べてみます。

注釈とはなりますが、

企業によっても、職種や事情、企業文化等、置かれた環境では対処の方法が様々ですので、以下の内容は一つの考え方や事例として捉えていただくと幸いです。

 

まず、前提ですが「働き方改革」の最も解決しなければならないことは、

ズバリ「残業」を減らすことです。

 

大きな企業の従業員は、あえて残業をして残業代を稼ぎたい。

しかし、そんな給与ドロボーを生み出したくない企業にとっては、

「働き方改革」は渡りに船になります。

 

しかし、ほとんどの経営者は、

社員になるべく働いてもらうことで収益を上げたいと考えているでしょう。

だから、前者の企業とは違い「働き方改革」は困ったもので、

早く帰る社員が増えれば収益力が下がり、

会社が持たないと考えているのです。

 

今回は、この後者の企業について話したいと思います。

 

私が経験した事例を一つ。

私の会社は3期連続で150%で収益が上がり、4期目にさらに勝負をかけようと数人の営業人材を入れましたが、

これが裏目に出てしまいました。

これらの人材は、なかなか売上をあげられなく、

このチーム(仮にBチームとします)は1年で、マイナス2千万の損失を出してしまいました。

これではいけないと、

彼らの損失を補填すべく、

私はチーム(仮にAチームとします)を編成して率先して売上を上げることにしました。

結果、私のチームは、

200%近くも躍進しましたが、

チームメンバーは次第に悲鳴をあげていきました。

「Bチームを助けるためにもがんばろう」

そんな合言葉をかけながら毎日遅くまで仕事をしました。

 

ところがBチームは、

ここで「働き方改革」を持ち出してきました。

「そんな遅くまでやってどうするの」

「もっと時間効率考えなよ」

「遅くまで働くの問題だよ」

そんな言葉を聞いた私のチームメンバーは、

心の中で、

「あなたたちの分がんばっているのに」

「それを言うのなら結果出してからでしょ」

 と悔し涙を流してたとのこと。

私は、Bチームのためにと良かれと思ってやっていたことが、

彼らに「甘える環境」を与えてしまい、

さらに成績を隠すための正論として、

「働き方改革」を使われてしまったのです。

最悪なのは、Bチームを助けようと頑張っていたAチームのメンバーの心まで傷つけてしまったのです。

 

ここにきて、私は我にかえりました

 

すぐにBチームのリーダーとの話し合い、

同時に売上推移を明確にしました。

ところが売上向上の努力をするどころか、

負担をかけたAチームへのねぎらいの言葉もなく、

結果、彼らは辞めていきました。

会社の業績としては、

(ノルマに対して、2年合計)

Bチームのマイナスが◯千万。

Aチームのプラスが◯千万。

会社の収支はプラスマイナスゼロです。

もし、Bチームの損失がなければ、

プラス◯千万の利益が残ってました。


ここで自分は猛省しました。

完全にマネジメントのミスです。

この利益があれば、以下3つの選択が可能になったのです。

 

a)賞与に還元

b)スタッフの増員

c)仕事を減らす

 

がんばった分、賞与で還元するのも良いですし、

個々の仕事の負担を減らすようスタッフを増員することもできました。

また、無理に仕事を受けなくても良いという選択もできました。


確かに競争が激しい業界や、

収益構造が悪い会社は全員が一丸となっても、

労働環境が過酷なこともあります。

これは経営戦略の問題となるので、

ここでは論じません。

しかし損を出さないようにチェックし、

利益を蓄積させ、

それを社員の負担軽減もしくは報酬に使うのが経営者の役目なのではないか?

 

これが「働き方改革」のヒントではないか。

 

a)人材稼働に正確な評価を導入する、損を出さない

要は、雇用した人材が損失を生んでいないかリアルタイムにチェックすることです。

これにより、彼らの甘えの阻止にもなりますし、損失が出ないように早めに対処することも可能になります。私が2年目にこれを対処できなかったのはまさに、適切な評価をおろそかにしてしまったことです。

 

b)理念に合致した人材を採用する

今回、それでもBチームに早い段階から売上向上へ努力を促したり、もしくは、Aチームの手伝いを要請したりしましたが、まさに「働き方改革」をタテにされ、なかなか協力してくれませでした。彼らの特徴はというと、やはり「自己中心」の考え方をする人が多かったように思えます。Aチームの作業を彼らが手伝えば、半分の時間で済んでいたはずなのですが。

しかし、もともとAチームのスタッフは「相互協力のマインド」を持っていて、

Bチームが抜けた後も互いに助け合って仕事をしています。

私はBチームのマインドを変えることはできませんでしたが、

一つわかったことは、

社員の根本のマインドに「互助の精神」がなければ、そもそも「働き方改革」にならないということだったんです。

 

こうして、ふと、今後の人材採用で一番大事なことを改めて考えたら、

結果当社の理念に行き着きました。

「共生」

まさに、会社は、互いに助け合う精神がなければ成り立たないということに気づいたのです。

また、自己中心的な考え方を持つスタッフは、結果、顧客への対応も不備に終わり、

当然売上が伸びるわけはないのです。

 

「働き方改革」はもしかしたら簡単なことかもしれません。

互に助け合いながら、作業時間を分散し、

得た収益を報酬にするか、

人材を増やすか、

もしくは仕事を減らすかをすればいいのです。

 

こんな当たり前のことに気づかなかった自分が恥ずかしく、

だからこそ、このことを皆様と共有したいと思いました。

 

これからは、この反省を期に、スタッフにとっても素晴らしい会社づくりをしていきます。

 

今日は、そんなところで。

 

芦田

 

 

 

 

 

「闘う」ということ。

こんにちは、芦田です。

 

シリーズ書こうと思ったのですが、

いきなり違うことを書きます。w

 

少し前の話ですが、

我が社のスタッフと議論になったことがありました。

そのスタッフ言わく、

「芦田さんは、戦う、という言葉が多く、それは好きじゃない」

「戦わないようにするのが、会社や人生では?」

 

これを聞いて、「そう来たか!」

と思いました。

 

昨今、「戦わない経営」とか、戦わないことが美徳とされている風潮がありますね。

おそらく、ブルーオーシャンランチェスター戦略などの派生した考え方から、

「戦わない」ことが経営にも人生に良いのだと皆思っているようです。

 

「いや、そのスタッフの考え方が正しいよ」

 

と思う人もいるかもしれません。

 

でも、これ、もう少し国語の勉強をした方が良いと思います。

「たたかい」の漢字は2つあって、

「戦い」はまさに、互いの潰し合い、殺し合い、競技などの意味があります。

もう一つが、門構えの「闘い」です。

これは、辞書で調べてもらえればいいのですが、

「負けない」「戦わない」ための「闘い」を意味します。

例えば、「病気との戦い」とは書きません。

病気との闘いであり、一言で「闘病」と書きます。

まあ、国語の話はこれくらいにして、

人生も経営も、この「闘い」が必要です。

どうやって、自社も守り、社員を守り、家族を守るのか、、。

それには、「闘い」が必要です。

 

仏教でも、人生本来「生老病苦」、

苦労から逃れられないと言っています。

だから、「闘い」から逃れられないのです。

ではどうするかと言うと、

闘って、その闘いを終わらせるしかないのです。

闘いがいやなら、闘う。答えは実に簡単かも。

 

 

 

まあ、難しいことはこれくらいにして、

 

なぜ、こんなことを考えたかと言うと、

映画「ロッキー4」のあるシーンと音楽をふと思い出したからです。

急に聴きたくなって、サントラをダウンロード。

そのシーンは、

親友のボクサーがロシア人ボクサーに試合で殺され、

リベンジに迷う主人公ロッキーが、

夜中、車で走るシーンです。

このタイトルの意味は、

 

There's no easy way out
「闘いからは逃げられない」

 

 本当は誰だって闘いたくない。

でも、自分や社員、仲間や家族の尊厳を守り、

そして自由を得る。

 

そのために「闘う」のではないか。

実際に、皆が羨む自由を得た人たちは、

実際に「闘い」を経て、今があることを意外や誰も知りたがらない。

「たたかわない人生、、」

耳障りの良いフレーズを鵜呑みにし、

「闘い」をやめてはならない。

時々、そんなことを考えています。

今、「闘い」の最中にある皆様、

この曲聞いて元気だしてね。

もちろん私も闘っています。

 

芦田

www.youtube.com

We're not indestructable
負けを知らない無敵の男
Baby better get that straight
そんな男はいない
I think it's unbelievable
気まぐれな運命が
How you give in to the hands of fate
行く道を阻む

Some things are worth fighting for
この手で守り通したい
Some feelings never die
心を離れぬこの想いを
I'm not asking for another chance
情けを求めはしない
I just want to know why
だがなぜこうなったのか

There's no easy way out
闘いからは逃げられない
There's no short cut home
どこにも近道はない
There's no easy way out
どこにも出口はない
Giving in can't be wrong
俺の心はなぜ迷うのか

I don't want to passify you
時は非情に流れ
I don't want drag you down
君の瞳が俺を引き止める
But I'm feeling like a prisoner
囚人のように追い詰められ
Like a stranger in a no name town
旅人のように孤独に泣く

I see all the angry faces
怒った顔に取り囲まれて
Afraid that could be you and me
君と俺はそっとささやく
Talking about what might have been
過ぎ去った思い出を
Thinking about what used to be
かなわなかった過去の思い出を

There's no easy way out
闘いからは逃げられない
There's no short cut home
どこにも近道はない
There's no easy way out
どこにも出口はない
Giving in can't be wrong
俺の心はなぜ迷うのか

以下、省略。

出所:

https://blogs.yahoo.co.jp/yoshimune_get_711/14805139.html?__ysp=44OO44O844O744Kk44O844K444O844O744Km44Kn44Kk44O744Ki44Km44OIIOatjOipng%3D%3D

共生とは。その1。

こんにちは、芦田です。

 

こちら、アップ久しぶりですね。

以前、ブログをやっていた時は、2日に一回くらいアップし、

業界人ランキングの常連でもありました。

 

そのブログを一旦閉じたのが3年前。

ようやく再開したのに、なかなかブログに向かえない日々が続きました。

 

昨年は、

書籍出版に始まり、

論文作成、

社内人材の問題、

極め付けは税務監査、

そして会社引越しまで、

肉体的にも精神的にきつい日々が続きました。

しかし、一番きつかったのは、

「人」によるものだったと思います。

 

企業の浮沈には、やはり「人」に左右される。

当然、自分の気持ちもです。

 

ただ、この「人」にまつわる悲喜こもごものドラマが、

当社の事業や、

行きて行く上で一番大切なことを気付かさせてもらえました。

 

これから話すことは、

前職の制作会社から現在にいたるまで、

私の眼前で何が起きたかを話していきたいと思います。

これからの話は、

人材マネジメントや、

働き方改革へのヒントになるかもしれませんし、

もしくは「人」への考え方も変わるかもしれませんね。

 

どのような捉え方をしていただいても良いですが、

そのドラマを話したいと思います。

(大袈裟ではありますが)本邦初公開ですので、お楽しみに。

えっ、次回から?

 

はい、予告ということで。

宜しくお願いします。

 

芦田

 

本当の支援とは?

こんにちは、芦田です。

 

先月ですが、私もとうとう50歳となりました。

こんな年になっても、失敗や学びはたくさんあり、今日はこのことを話したいと思います。

さて本題に入る前に、最近気づいたことがあります。

この学びについて、なぜか時期によってテーマがあるのです。

生活の中で起こった事件や経験をつなぎあわせると、神様が「今月はこの学びのテーマを与えます」みたいにカリキュラムが与えられるのです。

そのテーマは色々なものがあり、

最近は、今回の本題となる「支援」についてです。

 

(今は)中身は言えないのですが、先月まで、

私はとある問題にぶつかり悩んでいました。

それは会社が成長期に入った時点で必ずやってくる「人」の問題です。

この解決への取り組みは一年以上にも時間を有し、

結果、先月解決に至りました。

会社も私も疲弊しましたが、

ようやくトンネルを抜け、

新たな未来が見えてきたのが今現在です。

そうなると、次々と良いことが起こり、

さらに、その良いことが、また新たな良いことを招きよせてきます。

まあ、油断は禁物ですが、「人」に関する知見を得た今、

さらに力強く前に進むことができました。

 

さて、この1年を振り返り私のテーマは、この「人」についてだったのです。

この「人」を知ることはとても大切で、

このブログを通じてみなさまと共有できれば幸いです。

 

大きく分けて「人」には2種類います。

「奪う人」と「与える人」です。

先日、「陸王」なる企業ドラマが始まりましたね。

老舗の地下足袋会社が、

新規事業でランニングシューズをつくると言ったら取引銀行が反対しました。

銀行は「晴れた日に傘を差し出し、雨が降ったら傘を奪う」と言われます。

これは当然な話で、銀行はビジネスですから、

儲かる企業に貸し出し、そこで貸し出し金利を稼ぐのです。

「奪う人」は同様、ビジネスライクの人が多く、

自己の利得を中心の物事を考えています。

それはそれで間違いではないのです。

 

反対に「与える人」は、まさに自分のお金などの資源を他人に渡すのですから、

一見損しがちに見えますね。

 

なので、前者は数多く存在しますが、後者の「与える人」は中々いませんね。

 

他の社長の経験談も聞きますと、

会社の景気が良くなると「奪う人」大量に発生し、

言葉巧みに寄ってくるそうです。

そして奪うだけ奪ったら離れていくのです。

ほとんど社長がこれを経験しています。

 

その反対に「与える人」は、

会社が窮地になったり、個人が重要な問題を抱えた場合に手を差し伸べてくれます。

 

そう、両者の特性ははっきり分かれることが体験を持って改めてわかりました。

そして「奪う人」を周りに置かないことが肝要なのです。

もちろん、こんな話はみなさんも聞いたことがあるでしょうし、

当然のことと思うでしょう。

でも、私も周囲の社長も含め、多くの人が「奪う人」に奪われた経験があり、

中々見極められないようです。

今回のブログは、この「奪う人」をどのように見極めるかが本題ではありません。

 

さて、いよいよ本題です。

この話が当然と思うのなら、なぜ「奪う人」が多いのでしょうか?

そう、このブログを見ているみなさまも確率的に「奪う人」が多いということになります。

さらにこの「奪う人」は、自分が「奪う人」になっていることさえ気づきません。

 

当の私も「奪う人」にはなっていないという自負はあり、どちらかというと「与える人」になっていて、だからこそ「奪う人」に「やられた」と思っていました。

そして、「奪う人」には気をつけなければならないという見極め方法や回避方法を学ぶことはできました。

 

でも、今度は自分が「与える人」にならなくなりそうだという危機感も同時に発生したのです。そう、多数の人と一緒で、「奪う人」なのか「与えない人」になってしまいそうで怖くなったのです。

 

さて、なぜ、多くの人が「奪う人」なのか?

「与えない人」になってしまうのか?

そこで考えたのが、「奪う人」「与える人」の合理性です。

「与える人」に合理性があれば「奪う人」が少なくなるのではと考えました。

 

そう考えると、神様(?)は私に様々な気づきの機会を与えてくれました。

その一つが、レッドブルエアレースのシリーズワールドチャンピオンになった室屋くんの映像制作です。

彼が、先日ワールドチャンピオンになった時に、

今までお世話になった人に対して感謝の意を表現しようとして映像を急遽つくることになりました。

そこで、最初のスポンサーになった、とある社長への取材を行いました。

その社長は、エアショーチーム発足当時、

室屋くんと私で一緒に営業に行きましたが、

即決でスポンサーになってもらった人です。

当時は実績もお金もない室屋くんには誰も見向きもしませんでした。

だからこそ、なぜスポンサーになってくれたかは、

実はその取材を行うまでに私たちは疑問に思っていました。

そして、その取材を通じて、理由が判明したのです。

それは、対価としてもらう見返りは私たちが当時想像もしなかったものでした。

詳細は映像をご覧ください。

www.youtube.com

 

そこで私自身を振り返ってみると、

今発生している仕事や様々な支援は、

過去、私自身が「与える人」になっていたことで、

今になって返ってきていることが明確にわかったのです。

特に、自分が困った時に手を差し伸べてきてくれた人は、

そのような人ばかりでした。

 

その一人、室屋くんもそうでした。

チーム発足時は私も無償の支援をしましたが、

今や彼からは様々なカタチ多くの恩恵を受けています。

それはおつりがでるほどです!

 

結論をまとめると、

「与える人」×「奪う人」は奪われるだけですから、これを気をつけるのは当然のことです。

ただ「与える人」×「困っている人」、さらに「困っている人」は、その恩を感じれる人だと話は別になります。かなりの確率で恩返しされるのです。

 

それでも、将来の見返りを求めて「困っている人」を支援するのも違うのではないかと思うのです。

なぜなら、見返りを求める支援は、支援にならないからです。

見返り=短期的なリターンを求めがちです。

例えば株式投資なんかもその類です。

儲けようと思うと短期的な見返りを求めがちになります。

だから機関投資家のいる会社はダメになりがちですね。

短期的な施策は良い施策でないからです。

 

こうなると「奪う人」と同類になるのです。

 

見返りを求めない=本当の支援(施策)に繋がり、

結果、支援を受けた人から様々なカタチの感謝を受けるのではいでしょうか。

 

今回は、つまらない説明になっているかもしれませんが、

なぜ、「与える人」が結果、合理的に正しいのではという、

視点にたった説明であるので、ご了承ください。

 

最近、「奪う人」から奪われ、

同時に「与える人」から多くの支援を頂きました。

次は、この人たちを支援する側に回らなければなりません。

それこそ死ぬ気でやろうかと。

おそらく「与えた人」「奪った人」も、

自分がこのような気持ちでいることは知らないでしょう。

ただ、必ず、「与えた人」が正解だったことを証明させなければなりませんね。

 

あしだ

 

 

ディフェンスとは。

みなさま、ご無沙汰しています。

中々、記事をアップしてないですみません。

というより、ほとんどこのブログ、誰も知らせていないので見てないか、、ww

 

今からの話は、詳細に書きたいのですが、

今月はかなり忙しいので、予告編のように、

簡単でご了承ください。

 

いよいよ、今月末には大学の論文提出です。

論文には「ディフェンス」というものがあり、

これは書いた論文の口頭試問のことを指します。

言葉の通り、

要は書いた論文に「つっこみ」が入るので、

防衛対策ということで、このような名称があるではないでしょうか。

 

もちろん、英語での実施なので、

英語が苦手な自分は、

英会話スクールで一週間だけ、勉強しました。

 

さて、ここからは別の意味での「ディフェンス」を説明します。

 

そこで、隣り合わせた、20歳のサウジアラビアの女の子と、

とある課題に取り組みました。

その際ですが、

「私は人を信じないの」

と言ったので、

それを聞いていた先生がびっくりして、

「芦田、詳しく聞いて!」

と心配して、その詳細を聞くように依頼されました。

 

なぜ、彼女は人を信じなくなったか、、。

その理由は以下のよう、

 

他の人に絶対言わないように、親友に自分の秘密を話したら、

巡り巡って、他の人から、自分の秘密を聞かされることになったようです。

 

私は、どう答えるべきか。

 

そのような自分も、実は「性悪説」な考え方の持ち主です。

性悪説」とは、

元来人は、自分勝手で自分の欲望を中心に考えるという説です。

人の脳の根幹は爬虫類の脳であり、

人に進化する過程で理性を司る前頭葉などの脳が備わったとしているから、

人は元来「性悪説」なのではないかと、という説があるのです。

 

そんな私は、

人に騙されることが多く、

どうやら人の見極めが下手なようで、

わかっていたつもりでも、

最近、またまたやってしまいました!

 

今まで、人を信じ、

人生が狂わされる経験を何度もしたのにです。

 

今回は、さすがにダメージは深刻で、

性悪説である自分が、実は「性善説」な人間であったようで、

今後は、自分を「ディフェンス」するためにも、

完全な「性悪説」論者になることが必要だと思いました。

猛省しなきゃです!

 

だから、大事なのは、

まず「人は疑ってかかれ!」です。

自分の人生に影響がなければ良いのですが、

影響が出そうな場面では、

この考えが必須なのです。

 

これは寂しい考えでしょうか?

私は今までの経験からは、

そうは思いません。

 

性悪説」は、

「この世を沙漠のような荒野として見ること」です。

すると、

どうでしょう。

「オアシス」を発見できるのです!

 

まとめますと、

性悪説」は、まずは自分を守る考えであって、

かつ、人の「真心」を見ることができる考え方です。

 

多くの人があなたのことを考えてないし、

もしくは何らか利用しようとしています。

さらに悪いことに、

彼らは、このことを自覚すらしていません。

このような人たちが周りに集まると、

ろくなことが起きません。

だから、このような人たちを見極める眼力が必要なのです。

これは、「ディフェンス」です。

同時に、反対の「真心」な人たちも明確に見えてきます。

 

いざというとき、

誰が力になってくれるか、

どんな仲間が大切なのかがわかるのです。

 

話が飛びましたが、

そのサウジアラビアの女のには、

以上なアドバイス(?)をして、

いたく納得してもらえました。

 

先生からは、

「で、どうなった」と聞かれましたが、

「トップシークレット」と答えました。w

 

さて、私は、このオアシス達(恩人)への恩を返すべく、

今後は生きて、働いていこうと決意しています。

そして、「オアシスな人」を見つけたから力も出ますね。

 

皆さんも、周囲にいる人が、

本当の「オアシスな人」なのか、

それとも、あなたを食べようよとしている「恐竜」なのか、

今一度考えてください。

自分と同じ過ちを繰り返さないように祈ります。

 

芦田

 

 

 

 

レジリエンスとは?

こんにちは、芦田です。

 

この前書店に行くと、こんな本がありました!

 

「ほめると子どもはダメになる」

 

ちらりとめくると、

現在の教育論に一石投じてくれる本だと確信し、購入しました。

blog.terak.jp

最近、

「頑張れ、とは言わない方が良いとか。

「戦わない経営」とか。

「子どもはほめて育てよう」とか。

こんな論調が広まっているのに危機感を感じていました。

 

耳障りの良いキャッチフレーズの書籍が書店に並び、

詳細を見ないどころか、

また、きちんと調べもしないで、

印象的なタイトルと、対象者の「楽したい」マインドが

結びついて、

社会の常識になっている感があると。

 

これらは、

まるで昔流行った「寝ていても勉強できる」睡眠学習のようなものです。

 

なぜ、これらの論調に危機を感じるか?

 

私は、とある縁で、昔、心理学と大脳生理学を猛勉強したことがあり、

また経営学もプロ(仕事)ですので、それなりの知識はあります。

 

「頑張れ、とは言わない方が良い

実は、これを否定する論文もありますし、

「戦わない経営」も、

ちょっと勉強すれば、市場に競争やトラブルが存在しないということはすぐにわかります。

「子どもはほめて育てよう」も、この本にある通り、

間違いではないのですが、この言葉が全ての意味となり、

子供の教育に「ほめて育てる」が全知全能の方法として社会に広がってきています。

要は、これらの本の本質を考えることなく、

タイトルだけが一人歩きして、

一般常識になってきてるのです。

なぜ、このような風潮になっていったかの経緯を話すと、

これまた長文になるので省略させていただきますが、

「ほめて育てる」親に、

これは警告をしないといけないと思いブログに書き留めました。

 

なぜ、それを訴えたいか?

それは、「メンタルに弱い人が没落してゆく悲劇」をたくさん見たからです。

昔から部下の育成においても、周囲の話を聞いても、

 

「傷つきやすい」

「頑張れない」

「意思が弱い」

「自分探しを過度にしている」

という人は多数いて、

その、末路があまりよいものではなかったのです。

(降格、解雇、鬱の発症、引きこもり、または自殺等)

 

では、このような人達と、どのように接するか、

または、どのように教育するか、

これが私にとっても、大きな課題、テーマで、

解決しようと今までも多くの本を読んできました。

 

そして最近わかってきたのは、

ほめて育てようが、

叱ろうが、

(環境が悪かろうが)

「伸びる奴は伸びる」

そして、

どんなアプローチをしようが、

「伸びない奴は伸びない」

この事実も、ある研究で立証されましたし、

私も実体験を通じて納得しています。

もちろん、一見メンタルの弱そうな人でも、

なんらかのキッカケやコーチングで変わることもあります。

ただ、やはり素質によるものが大きいと言わざるをえません。

 

その素質は、幼少期の親の教育方法で大きく変わるようです。

 

私の息子が、まだ小さいとき、よく砂場に遊びに連れていきました。

自発的な遊びができるよう、

割とほっとくようしていました。

そうすると創造的な遊びを開発するからです。

 

そんなある日、私の息子を砂場で遊ばせていると、

別の子供が、息子のスコップを貸してくれと言いまました。

私の息子は快く貸したのですが、

時間がたっても彼は返してくれる様子がありません。

そこで、息子が返してくれと言うと、

なんと、その子供は自分のものだと主張し始めたのです!

すると、

薄眼を開けて寝たふりしている自分に、息子が助けを求めてきました。

「知らん、自分で解決しろ」

と言い砂場に返しました。泣きながら、、。ww

息子は仕方ないので、その子供から半ば喧嘩しながら奪い返してきました。

 

ちなみに、同時期に別の砂場を見ていると、

ある親が砂場に張り付いているのが見えました。

 

「◯◯ちゃん、それ△△ちゃんのだから取ってはだめですよ」

「そこに行くと汚れるから、こっちにきて」

 

そう、子どもが判断する前に、親が判断して先回りして、

トラブルを予防していました。

 

こうして、判断力のない、

トラブル耐性のない子供が仕上がります。

 

私が終始一貫して子供の教育に必要なものは、

「サバイブの仕方」だと思っています。

 

世の中は理不尽なことばかりです。

それを乗り越えるのは、

やはり「サバイブ力」です。

優秀な人であったのに不祥事を起こしたり、

ストレスで自殺したり。

そんな弱い大人にしたくないから、

サバイブの精神を教えてきたのです。

 

ちなみに、ドラえもんジャイアンスネ夫とかは、

子供の教育上必要な存在だと思われます。

理不尽を強要するジャイアン

そもそも裕福な家庭でいつもおもちゃを持っているスネ夫

これらの友人に接してきたから、

のび太は成長したのではないでしょうか?

(マンガの話しどはありますが)

私の小さい頃も、

このような友人構成でありましたので、

ドラえもんの友人構成は一昔前までは当たり前にあったと思います。

 

社会に出た社会人の皆様の方が、

誰でも様々な理不尽や不公感を感じているのでは?

そして多くの人がストレスを抱え、場合によっては心理的な病気を発症していると思います。

 

だから、

これから社会にでる子供には、

この本にあるように、

レジリエンス力」

※ストレスに対抗できるメンタル性を持つこと

を鍛えた方がよいと思うのです。

 

ちなみに私の子供達には、

このレジリエンス力」を鍛えることに重きをおいてきたので、

「勉強しろ」とは言ったことはありません。

(「勉強しなくていい」とはよく言いましたが、、。)

どのような理由かはわかりませんが、

息子は東大、娘は千葉大に通っています。

でも、ハードな受験勉強を耐え抜くにも、

結果「レジリエンス力」が役にたったのではとは思っています。

 

さて、ゆとり教育がいつの間にかに廃止になっています。

(政府は責任問題になるのでそっと廃止した)

一昔前に、「運動会では競争させない、みんなでゴール」みたいなことを推奨されていましたが、これも知らずのうち廃止。

なぜなら、学力の低下どころか、子供に心にも様々な問題が多く発生したからです。

競争をしないことを推奨したから、

メンタルの弱い人が大量生産されてしまったのです。

そして、現在、

「ほめて育て」ることで、

ゆとり教育の再来のように、

レジリエンス力」が低い子供がどんどん出来上がっています。

この本に書かれているように、

今後は社会問題までに発展するかもしれませんね。

 

企業の人事部は、

今後、低レジリエンス力の新入社員に翻弄されるでしょう。

また、このようなレジリエンスな子供を育てた親は、

子供の悲観的な将来を目撃することになるでしょう。

 

子供への愛があるなら、

一時子供に嫌われるかもしれませんが、

厳しい教育をするべきです。

良い時はほめれば良いですし、

悪い事は勇気を持って叱る。

要は、

子供は自分のしている事を外から見ることはできません。

だから、親が子供のミラーとなって、

子供の行動に対して正しいフィードバックをすればいいだけなのです。

以下の言葉も最近は聞かなくなりましたね。

今こそ、

昔の諺を噛みしめましょう。

 

 

獅子は我が子を千尋の谷に落とす
獅子は生まれたばかりの子を深い谷に落とし、這い上がらせて子供に高い生命力を育てるという言い伝えの「獅子の子落とし」が転じて、本当に深い愛情をもつ相手にわざと試練を与えて成長させること、またはそのようにして成長させるべきであるという考えを意味する語。

 

あしだ

 

 

 

 

 

40代注意予報。

こんにちは、芦田です。

 

今回も、いつも思うことを書き留めて起きます。

それは、40代以上の危機についてです。

昔から疑問に思っていたことがあります。

スポーツならいざしらず、

なぜ、会社には定年があるかです。

確かに仕事に体力は必要ですが、

仕事の能力は経験や勉強により、

年関係なく、向上していくはずと思っていました。

過去に大脳生理学の猛勉強をしたことがあって、

脳の縮小化があるにしても、脳の訓練の仕方により、シナプスなどの、

神経細胞は限りなく発達すると言われています。

しかし、

現実は、定年制が存在し、

法的には60歳や65歳となりますが、

現実の会社では50代半ばで退職勧告があったり、

一部の会社では30代後半で退職推奨があったりもします。

実際の数値測定はしていませんが、

私の感覚値で行くと、多くの企業が、

社員のスキルは30代後半と考えているようです。

しかし、実際は法的な問題もあり、

60歳、65歳定年制となり、そのため多くの問題が発生しているのです。

わかりやすいのが、こちらの記事です。

headlines.yahoo.co.jp

 

要は、40代以上になると、能力は落ちるのに、

年功序列で雇用しつづける、すると日本の企業の力は落ちる、ということを言っています。

 

今後は高齢化社会となり、

社会の多くが高齢者になるわけで、

高齢者採用について、もっと議論しなくては、

この日本の未来が本当に危うくなります。

しかし、

企業経営者の本音を聞くと、

能力が落ちてきても採用をし続けなければいけない苦悩があるようです。

なんとか、本人に頑張ってほしいが、

今のままではリストラ対象にするしかない、みたいな話をよく聞きます。

 

そういう私も数年前から、

大脳生理学や心理学が少し詳しいということもあり、

高齢者採用を意識した各種テストをやってきました。

ただ、高齢者でなく、

50代を対象にしてきました。

さて、50代以上で低迷しているおおよその特徴を下記に述べます。

 

a)考えが固着し、新たなことを受け入れない

b)昔ながらのやり方に固執し、新たな取り組みをしない

c)勉強意欲が低い/情熱がない

d)環境に適応した働き方ができない

 

このような特徴がでてくると、

現状の仕事のニーズから乖離が起き、

結果、「役に立たない人」のレッテルが貼られてしまうのではないでしょうか?

 

 

さて、このような人の脳内がどのようになっているか、

あくまでも仮説ですが、こちらも説明しておきます。

エビデンスはなく、私の勝手な仮説ですww)

 

脳の構成要素には、シナプスとレセプターがあります。

シナプスは脳の回路をつなぐ電線であり、

レセプターは、伝達物質を受け取りお皿のようなものです。

人の意思決定は、

シナプスに電気信号が伝達し、次に伝達物質(脳内ホルモン)に変換され、

液体空間に放出、そしてレセプターがこれを受け取ります。

人の意思決定が機械的でないのは、

この液体空間がミソで、伝達物質が予測不能に動くから、

新たな思考が創造されると言われています。

しかし、

勉強不足や刺激不足、または高齢化で、

この伝達物質の移動がパターン&固着化されると私は考えています。

 

例えると、子供の頃に遊んだ砂山を想像してください。

砂山にジョーロで水を流すと、

最初は、いくつかの川ができあがります。

そう、川はどんどん分岐されます・

しかし、水を流し続けると、

一つの川が深くなり、もう、分岐は起きなくります。

川は深くなればなるほど、

物理的に分岐が起きなくなるのです。

 

そう、40代の脳はこのように、

過去の経験バイアスや勉強不足、高齢化によって、

思考の分岐ができなくなり、

新たなことを受け入れなくなり、

かつ、自己変革も不可能になるのです。

 

私は、今後の高齢化社会を見据え、

高齢者採用と同時に高齢者のスキル開発が、

今後、非常に重要な課題と考えて、

少なからずのリサーチをしてきました。

 

しかし、調べれば調べるほど、

この脳に刻み込まれた深い川を切り開くことは物理的に不可能なように思えてきました。

投薬、外科的な治療、対処的な訓練、いくつかの方法を考えてみましたが、

未だ有効なものは見つかりません。

それでも、今見つかっているのは、

「クオンタムチェンジ」と言って、死ぬほどの衝撃的な経験、

例えば、「もう、財布には50円しかなくなった。明日からどう生きたら良いのか」

という経験をすると、劇的な人生変革が起きるとされていますが、

これはとても推奨できるものではないでしょう。

また、そのような衝撃的体験は意図的につくれるものではありません。

 

さて、次の表を見てください。

年齢に応じた、必要生活費、JOBスキル、勉強量がグラフ化されています。

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一般的は勉強量は、大学卒業以降減ります。

代わりに、仕事の経験は積めますから、JOBスキルは向上します。

しかし、多くの企業が想定しているように、

30代後半でJOBスキルはピークを迎えていると考えています。

しかし、必要な生活費は40代以降も上昇します。

子供が生まれる。

学費が必要である。

両親の介護が必要になった。

そう、こうして、40代以降のJOBスキルと必要収入のギャップが発生します。

しかし、企業は未だ年功序列を採用していますから、

40代以降に能力もなくとも、

給料は上げ続けるか、払い続けなければならなく、

この時点ではリストラ対象となっているわけです。

こうして前述の記事のように、

40代定年制などという暴挙のような、

それでも実質的なプランが現実味を帯びてくるわけです。

 

さて、こんなことを話している私も間も無く50代となります。

だからこそ、言いたいのが、

「そのままでいいんですか?」

ということ。

今の40代以降に必要なのは、

やはり勉強ではないかと思うのです。

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実業をしながら、

学生時代のように、

いや学生以上の勉強量(もしくはスキルが上がるための何らかの努力)を自分に課す。

そうでないと、

多くの悲劇が生まれると思われるのです。

もし、このような闘いをしたくないなら、

家族を持つべきでなく、

低収入で、それなりの仕事スキルでのんびりやればいいのです。

このようなスタイルが悪いわけでなく、

問題なのは、

自分の現実と向き合わなく、

様々なギャップが生じることによって、

家族や会社に結果迷惑をかけることなのです。

そうそう、

弊社の社員も、

似たようなコメントをブログに書いていました。

https://nnnncubeinfo.wixsite.com/ncube/single-post/2017/06/12/まだ見ぬ扉を叩き続ける

 

頑張れオヤジたち!

こんなこと言われるな!

今回はこれまで。

 

あしだ